チョコレートはかつてマヤやアステカなどの独自の文明が栄えた中南米の地域「メソアメリカ」で生まれました。古代メソアメリカではカカオは豊穣(ほうじょう)の象徴として神に捧げられたり、歯痛や解熱などの薬とされたりしていました。
メソアメリカでは最初、カカオ豆を生のまま食べていましたが、やがて火であぶったカカオ豆をすりつぶし、水やトウモロコシの粉、唐辛子などを混ぜて飲むようになりました。この「飲むチョコレート」が16世紀にスペインに伝わり、カカオの粉をお湯で溶かし、砂糖を入れて飲まれるようになりました。17世紀にはフランスやイタリア、オーストリア、ドイツなどの欧州の国々へ伝わり、貴族などの上流階級に飲用が広がりました。英国では貴族だけでなく、一般の人も「チョコレートハウス」と呼ばれる専門店で飲むことができました。
19世紀に入ると、現在のような「食べるチョコレート」へとつながる技術革新が相次ぎます。1828年に固形チョコレートに欠かせないココアバターを液状のカカオマスから抽出する技術が開発され、ココアバターを搾った残りを粉末状にした「ココアパウダー」が誕生。1847年にココアパウダーに砂糖とココアバターを加えて固めた固形のチョコレートが発売されます。1875年には固形チョコレートに粉乳とココアバターを加えたミルクチョコレートが登場。その後、チョコレートの生地をじっくり練り上げる「コンチェ」や、チョコレートの粒子を細かくする「レファイナー」などの製造機械も開発され、現在のようなチョコレートが作れるようになりました。
日本にチョコレートが伝わったのは江戸時代とされます。明治時代に輸入が始まり、大正時代には森永製菓や明治製菓(現在の明治)がカカオ豆からチョコレートの一貫製造を開始します。第2次世界大戦中はカカオ豆が輸入できず国内生産はストップしますが、1951年から製造が再開されて需要も増加。1960年にはカカオ豆とココアバターの輸入が自由化され、バラエティーに富んだチョコレート製品が製造できるようになりました。
国内では多くの菓子メーカーがチョコレートを生産しており、明治やロッテなどの上位5社で国内生産全体の70%以上を占めています。海外の大手メーカーには米国のモンデリーズやマース、ハーシーズ、スイスに本拠を置くネスレなどがあります。