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ウイスキー再び人気~その背景と最新事情を知る

2015.2.16 掲載
高度経済成長期にブームとなり、年配の男性向けのお酒とのイメージが強かったウイスキー。メーカーが新たに提案したウイスキーを炭酸水で割る「ハイボール」が若者の間で広がり、再びブームとなっています。国産ウイスキーの先駆者夫妻を取り上げたテレビドラマの放映もウイスキーへの関心を高めています。今回はウイスキーの基礎知識と国産ウイスキーの歴史、ブーム再燃の背景、国内メーカーの関連動向などについて解説します。

3.1980年代をピークに消費量の減少続く

 ジャパニーズ・ウイスキーの誕生には2人の人物が大きく関わっています。サントリーを創業した鳥井信治郎とニッカウヰスキーを興した竹鶴政孝です。本格ウイスキーの国内製造を目指していた鳥井は、スコットランドでウイスキーの製法を学んだ竹鶴政孝とともに1923年(大正12年)に大阪府島本町山崎に第1号蒸留所を開設。29年(昭和4年)に国産第1号ウイスキー「白札」(現在の「ホワイト」)を発売しました。34年(昭和9年)に竹鶴は鳥井の下を離れ、大日本果汁(後のニッカウヰスキー)を設立。北海道余市町に蒸留所を構え、40年(昭和15年)に同社初のウイスキー「ニッカウヰスキー」を発売しました。ちなみにニッカウヰスキーの名称は、当時の社名の略称「日果(にっか)」からつけられています。
 ウイスキーが庶民に広く飲まれるようになったのは戦後です。46年(昭和21年)にサントリーが「トリスウイスキー」を発売し、高度経済成長とともにウイスキー消費が拡大しました。60~70年代にはトリスを炭酸水で割ったハイボール「トリハイ」が流行。この頃からクラブやバーなどでのボトルキープの習慣や和食と組み合わせる飲み方が広がり、80年代にウイスキー消費量はピークを迎えます。
 その後は全国の小規模メーカーの「地ウイスキー」が脚光を浴びたり、トウモロコシなどを原料に米ケンタッキー州を中心に生産されている「バーボン・ウイスキー」がブームになったりしたものの、若者の間では「年配の男性向けのお酒」「飲みにくい」といったイメージが定着。若者のウイスキー離れが進んでウイスキー市場は縮小期に入り、2008年には消費量がピーク時の5分の1にまで落ち込みました。
2015年2月16日掲載