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英の国王交代、王室の果たす役割は?

2022.11.7 掲載
70年余りの長きにわたり在位した英国のエリザベス女王が2022年9月に亡くなり、チャールズ新国王が即位しました。第2次世界大戦後の世界と英国の歴史を見守ったエリザベス女王の国葬には天皇陛下やバイデン米大統領、中国の国家副主席ら500人の元首・首脳級が国の政治的立場を超えて参列しました。今回は日本の皇室ともゆかりが深い英国王室はどのような存在で、その果たす役割はどんなことなのかなどについて解説します。

2.敗戦国との和解へ交流、差別の撲滅や民主主義の普及にも取り組む

2.敗戦国との和解へ交流、差別の撲滅や民主主義の普及にも取り組む
 戦勝国の女王として尽力したのが、かつての敵国との和解です。65年に西ドイツ(現ドイツ)を訪問。英国でドイツ人への嫌悪感が強かった時期に、東西ドイツを分断するベルリンの壁がある西ベルリンを訪れ、民主国家となった西ドイツと連携する意思を示すメッセージを送りました。71年には昭和天皇の訪英を受け入れ、75年に答礼として来日。その後も天皇に在位していたときの上皇さまや皇太子さま(現在の天皇陛下)との交流を深めました。
 差別の撲滅や民主主義の普及に向けた「外交活動」にも長年取り組みました。ザンビアで79年に開かれた、英国と旧植民地諸国などで構成する英連邦の会議で、少数派の白人が支配していた南ローデシアへの対応をめぐって当時のサッチャー英首相がアフリカ諸国首脳の不興を買うと、女王は各国首脳と個別に会談。南ローデシアは翌年、黒人多数派政権へ平和裏に移行し、現在のジンバブエが誕生しました。英連邦の複数の要人によると、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃でも女王の水面下の貢献が大きかったとされます。
 国王は政治的中立が原則ですが、英国の歴代の首相から国内外の政治情勢について定期的に報告を受けており、政権の陰の相談役を担っていました。56年にエジプトがスエズ運河の国有化を一方的に宣言したことに対し、英仏とイスラエルが反発して勃発したスエズ動乱の際には、女王は当時のイーデン政権から機密文書を含むすべての文書を受け取って目を通しました。このときの知見が82年に南大西洋のフォークランド諸島をめぐりアルゼンチンと衝突したフォークランド紛争に臨む当時のサッチャー首相との意見交換に生きたとされます。
 女王は世界に向けてさりげなく英国の外交方針を示すこともありました。女王は2003年11月、当時のブッシュ米大統領との晩さん会で「米英の『特別の関係』という用語は時に批判を浴びることもある。しかし、それが欧州を専制政治から解放した」と指摘。米英は意見の相違を「乗り越えられる」と強調しました。これはイラク戦争をめぐり批判を受けていたブッシュ大統領を緩やかに擁護したとみられています。最近では22年3月にカナダのトルドー首相との面会の場に、ウクライナの国旗の色である青と黄色の花が飾られていたことが話題になりました。ウクライナ支持を示したように見えることについて、英公共放送BBCは「王室筋が『偶然ではない』との見解を示した」と報じました。
 王室は社会的な弱者に手を差し伸べる慈善活動も担っており、教育や虐待防止、芸術、環境、医療など様々な分野の約3000の団体や組織を支援しています。
2022年11月7日掲載