89年に冷戦が終結。91年にワルシャワ条約機構が解体しソ連が崩壊すると、東側陣営の脅威への対抗という NAТOの創設当初の目的は薄れました。それにともない、 NAТOは域外・周辺地域の紛争予防や危機管理に重点を移しました。90年代には旧ユーゴスラビア諸国の内戦に軍事介入しました。
NAТOが基づく北大西洋条約は全加盟国の同意を前提に「いかなる欧州の国」も招きいれることができると定めており99年以降、東欧諸国が相次いで NAТOに加盟しました。99年にチェコ、ハンガリー、ポーランド、2004年には旧ソ連から独立したエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国を含む7カ国が参加。旧ワルシャワ条約機構加盟国は旧ソ連を除くすべての国が NAТOに入りました。旧ソ連に属した国もバルト3国に続いてウクライナとジョージアが NAТO加盟を求め、08年にルーマニアで開かれた NAТO首脳会議で両国の将来の加盟が認められました。
NAТOの東方拡大に対し、ロシアは勢力圏が圧迫されることに反発。とりわけウクライナを NAТO加盟国との軍事的な緩衝地帯として重要視しているため、14年のウクライナ東部への軍事介入やクリミア半島併合に続き、22年2月には軍事侵攻しました。