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ロシア、ウクライナへなぜ侵攻?

2022.4.18 掲載
ロシアが2022年2月、ウクライナへの軍事侵攻を始めました。ロシアは首都キーウ(キエフ)を数日で制圧する計画だったとみられますが、ウクライナ軍の強い抵抗などで侵攻はまだ続いています。ウクライナはどんな国でロシアはなぜ軍事侵攻したのか、侵攻によってどのような影響があるのかを解説します。

1.ソ連の崩壊で独立、米欧とロシアのつばぜり合いの場に

1.ソ連の崩壊で独立、米欧とロシアのつばぜり合いの場に
 ウクライナは東欧に位置し、東はロシアと国境を接する国です。面積は日本の約1.6倍の60万3700平方キロメートルで、4159万人の人口を擁します。公用語はウクライナ語です。ロシアとウクライナ、ウクライナと北で接するベラルーシは同じ東スラブ民族に属しています。統一国家の始まりは9~12世紀ごろに栄えたキエフ・ルーシで、中心地は現在のキーウでした。その後、現ウクライナ領には長く独自の国ができず、ロシア帝国やポーランド、リトアニアなどの支配下に置かれました。中世には自由な戦士集団「コサック」が登場し、独立と国家建設を求める戦いが始まったとされます。西のポーランドに対抗するため、コサックが一時ロシアの保護下に入ったこともありましたが、ウクライナを巡って争ったロシアとポーランドは1667年にウクライナ分割で合意しました。ウクライナは1917年のロシア革命で一時独立を宣言したものの、その後旧ソ連の一部となりました。
 1991年のソ連崩壊でウクライナは独立しましたが、米欧とロシアのつばぜり合いの舞台となり、住民もウクライナ語を話し親欧米が多い西部と、ロシア語を母語とし親ロシアが多い東部に分かれる傾向がありました。2004~05年初めには親ロシア派の候補が勝利した大統領選をめぐる抗議が広がり、親欧米派政権が樹立される「オレンジ革命」が起きました。次の選挙では親ロシア派が政権に返り咲きましたが、14年に親欧米派が親ロシア政権を倒すと、ロシアはウクライナ南部のクリミア半島を一方的に併合し、ロシア系住民の多い東部にも侵攻。ルガンスク、ドネツク両州のうち約3割を親ロシア派が実効支配しました。
2022年4月18日掲載