日米間の貿易不均衡で最初にやり玉に挙がったのは繊維製品でした。日本は1957年から5年間、綿製品の輸出自主規制を実施。69年には当時のニクソン米大統領が毛・化合繊を含む繊維製品の輸出自主規制を迫り、72年に日本側が受け入れました。その後、鉄鋼やカラーテレビなどに続き、70年代から90年代にかけて自動車が激しい貿易摩擦を起こしました。安くて性能のよい日本の小型車が米国に大量に輸出されたため、米国内で米国車の販売が低迷。米自動車業界の失業者が増加し、日本車に対する米国民の反発が強まるなど、社会問題になりました。米政府は日本に自動車の貿易不均衡を是正するよう強く要求。日本側は81年から94年まで米国への輸出台数を自主規制する一方、メーカー各社は輸出を減らすため米国内での現地生産を進めました。