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発色の仕組みや歴史、大会の経済効果――花火について知ろう

2016.8.1 掲載
夏を実感させる花火大会。夏の夜に花火を鑑賞する文化は江戸時代に花開き、今は全国各地で数多くの花火大会が開かれています。一時は景気低迷の影響で開催中止や規模縮小が相次ぎましたが、近年は地域活性化につながる観光資源としてあらためて注目を集めています。今回は花火の仕組みや歴史、花火産業の市場規模、花火大会の近年の傾向などを紹介します。

3.江戸時代に開花した花火文化

 花火の原型は秦の始皇帝の時代に煙をあげて敵の侵入を知らせた「のろし」で、紀元前にまでさかのぼります。日本には16世紀の戦国時代に渡来した西洋人によって鉄砲(火縄銃)と共に黒色火薬が伝わりました。
 花火鑑賞は1589年(天正17年)に伊達政宗が米沢城で、1613年(慶長18年)には英国の使者が駿府城を訪れた際に徳川家康に花火を見せたとの記録があります。江戸時代に入ると、大名が花火を楽しむようになり、やがて江戸の町民におもちゃ花火が親しまれ、「花火禁止令」がたびたび出るほどの人気となりました。
 夏に盛大に花火を打ち上げる、多くの人が一緒に楽しむ花火大会が生まれたのは江戸中期です。1732年(享保17年)に大飢饉(ききん)と疫病の大流行で江戸の町で多くの死者が出ました。当時の将軍、徳川吉宗は悪疫をはらい死者の魂を慰めるため、翌年夏に両国橋のたもとで水神祭(すいじんさい)を催し、盛大に花火を打ち上げました。これが現在の隅田川花火大会の起源となる「両国の川開き」の始まりで、花火大会の発祥とされます。なお、花火大会の「たーまやー」「かーぎやー」の掛け声は、この頃に活躍した花火師の屋号に由来します。両国の川開きの際、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち花火を打ち上げました。
 江戸時代の花火は木炭が燃える色のオレンジ一色でした。明治時代には海外から塩素酸カリウム、ストロンチウム、アルミニウムなどの薬剤が輸入され、明るく多様な色が出せるようになりました。大正・昭和期に入ると全国各地に名人と呼ばれる花火師が登場し、数々の名作を残しました。この伝統に裏打ちされた日本の花火の技術力は世界でも高い評価を得ています。
2016年8月1日掲載