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キューバ、半世紀ぶりに米国と国交正常化へ~どんな国? その背景は?

2015.7.6 掲載
米国とキューバは2015年7月1日、双方の大使館を同月20日に再開することで合意し、1961年から断絶していた両国の国交が54年ぶりに回復しました。両国関係の雪解けを受け、日本政府はキューバ向けの政府開発援助(ODA)の対象拡大を検討、各国の企業もキューバのインフラ投資・資源開発への関与や消費市場の開拓を狙っています。今回はキューバの成り立ちや米国との対立の経緯、両国が国交正常化交渉に踏み切った背景などについて解説します。

2.革命以降は米国と激しく対立、60年代には冷戦下最大の危機の舞台に

2.革命以降は米国と激しく対立、60年代には冷戦下最大の危機の舞台に
 キューバの歴史には米国が深く関わっています。1902年に米国の支援によってスペインから独立しましたが、その後は米国の支配下に入りました。これが現在まで続く両国間の確執の発端です。
 1952年に軍事クーデターにより親米路線のバティスタ政権が誕生しましたが、政治の腐敗がひどく、反政府運動が活発になりました。当時の反政府勢力のリーダーの一人が、キューバの現体制の礎を作ったフィデル・カストロ氏です。カストロ氏らは民衆を率いてゲリラ戦を繰り広げて59年、バティスタ政権を倒して革命政府を樹立。米国企業が押さえていた土地と産業を国有化するなど反米路線を打ち出し、61年に米国との国交を断絶しました。
 当時、米国を中心とする資本主義陣営と、旧ソ連が盟主の共産主義陣営との対立が深刻化していました。いわゆる東西冷戦です。キューバは米国に対抗するためソ連に接近し、61年に社会主義国家への移行を宣言しました。
 62年には米国との関係悪化を決定づける事態が起きます。ソ連が米国を攻撃できる核ミサイルの基地をキューバに建設中であることが判明。米国のケネディ政権はキューバ周辺の海上を封鎖し、ソ連の貨物船が核ミサイルを運び込むのを阻止しようとしました。これに対し、ソ連は貨物船を護衛する潜水艦を派遣し、核戦争寸前の極めて緊迫した状況となりました。いわゆる「キューバ危機」です。結局、ソ連が核ミサイルを撤去して危機は収まりましたが、これ以降キューバと米国との対立はさらに深まります。米国は96年にキューバに対する経済制裁を強化するなど、同国を孤立させる政策をとりました。
2015年7月6日掲載