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うんちく日経
日経にまつわる豆知識をお教えします。

 1876年12月2日の創刊号
日本経済新聞の名称(題字)は4代目
日本経済新聞の前身は「中外物価新報」といい、1876年12月2日に創刊しました。ちなみにこの「中外」ですが、中は国内、外は海外の意味で、国内外の経済情勢や市況・物価の動きなどを掲載していました。その後、1889年に「中外商業新報」となり、1942年11月1日には戦時の新聞統合により「日本産業経済」と改題、1946年3月1日に「日本経済新聞」となり現在まで続いています。

日本経済新聞には、かつて日曜日の夕刊があった
戦前にも夕刊はありましたが、現在のような形の日本経済新聞夕刊は1951年10月に発行を開始しました。朝鮮戦争の激化や占領政策の変化、対日講和の進展など報道すべきニュースが急増したためです。当初は週日のみ発行し、紙面も2ページしかありませんでした。その後、発行日を増やし、日曜日にも発行していましたが、65年4月に廃止しました。


新聞は輪転機で高速印刷されています
日本経済新聞は特別に薄く軽い紙を使っている
新聞用紙には長年52g紙(1u当たりの重さが52グラムの紙)が使われていましたが、1977年には49g紙、80年には46g紙と軽量化がすすみました。さらに日本経済新聞はページ数増加に伴う重量の増加に対応するため、さらに軽くて強い新聞用紙をテスト。89年には他社に先駆けて、全国一斉に超軽量43g紙の使用を開始しました。その後改良を重ね、現在では超々軽量紙40g紙を使っています。紙の軽量化には省資源化、輸送費の節減、印刷スピードのアップなど様々なメリットがあります。


左は現在の紙面、右は1956年の紙面
日本経済新聞の活字は、縦横とも1.3倍以上大きくなった
1986年6月以前の日本経済新聞の記事本文に使われていた活字(基本文字)は現在から見るとかなり小さいものでした。本文1行の文字数は15字で、1950年12月26日から30数年間使い続けられました。80年代に入り、読者により読みやすい紙面を提供する趣旨で、大字化を検討。86年6月に1行14字にしたのを皮切りに96年1月には1行12字、さらに2002年4月には現在の1行11字へと活字を大きくしました。戦後長く使われていた活字の大きさは縦88ミルス(※)×横110ミルスでしたが、02年以降の活字は縦119ミルス×横143ミルスで、それぞれ約1.35倍、1.3倍と大きくなっています。02年の大字化では、文字そのものを太くする工夫もして、目にくっきり映るようにしました。
※1ミルス=1/1000インチ=0.0254ミリメートル


1ページの文字量
日本経済新聞朝刊の文字の量は、およそ新書本2冊分
日本経済新聞の本文1行の文字数は11文字、1ページあたり15段、1段の行数は78行、という構成になっています。日本経済新聞朝刊の平均的なページ数は40ページですが、紙面には写真やグラフに加えて広告もありますので、文字の量は約20万文字となり、新書本2冊分に相当します。日本経済新聞は朝刊だけで毎日、これほど膨大な情報を提供しているのです。

日本経済新聞は、国内26カ所、海外7カ所で印刷している
世界中の読者にできるだけ新しいニュースをお届けするため、日本経済新聞社では国内26カ所、海外7カ所で日本経済新聞を印刷しています。 (2009年11月現在)

1.北海道・東北エリア 札幌(北海道)、弘前(青森県)、仙台(宮城県)、新 潟(新潟県)
2.関東エリア 茨城(茨城県)、千葉(千葉県)、さいたま・八潮(埼玉県)、東雲・立川(東京都)、横浜・川崎(神奈川県)
3.中部エリア 静岡(静岡県)、塩尻(長野県)、金沢(石川県)、名古屋(愛知県)
4.近畿エリア 大阪・南港(大阪府)、京都(京都府)、西宮(兵庫県)
5.中国・四国エリア 倉敷(岡山県)、広島(広島県)、高松(香川県)
6.九州・沖縄エリア 西部(福岡県)、鹿児島(鹿児島県)、那覇(沖縄県)
7.海外 ニューヨーク、ロサンゼルス、香港、シンガポール、バンコク、ブリュッセル、シドニー


現在の紙面レイアウト作業
日経の新聞製作システムはアポロ計画を手がけた会社が製作した
日本経済新聞社は1967年から内外の新聞業界に先駆けて、新聞製作のコンピューター化に着手しました。日経の当初の新聞製作システム(ANNECS=アネックス)は、米IBMの一部門で宇宙開発など連邦政府関係の仕事を専門に担当するFSD(Federal Systems Division)が開発。記事の入力からレイアウト、1ページ分の新聞制作すべてをオンライン化するこのプロジェクトは難航し、FSD首脳の一人は「この開発は同じくわが社が手がけた米航空宇宙局のアポロ計画にも匹敵する難しさだった」と述懐するほどでした。その後改良型のANNECS−V、Wなどを経て、現在はカラー紙面や相場表の自動レイアウト機能を持つEDISON21システムに進化させています。

「私の履歴書」の第1回目に登場したのは鈴木茂三郎氏である
有名企業のトップや政治家、文化人、海外の著名人らが自叙伝を綴る名物コラム「私の履歴書」は、1956年3月1日から朝刊文化面で連載が始まりました。第1回(3月1日〜7日)の登場者は鈴木茂三郎氏(当時社会党委員長)でした。当初は連載期間が1人当たり1〜2週間と短く、また掲載も不定期でした。現在のように原則1人1カ月(年間12人)の連載となったのは85年からです。

号外ってなあに?
朝夕刊がカバーする時間帯以外に起こった突発的な事件などを報道するために、新聞社が発行する臨時の新聞です。日本経済新聞は本支社周辺やビジネス街、繁華街などで配布します。新聞には通算発行号数が1面上部の欄外に表記してあります。号外は臨時に発行するものなので、この数に含まないところから号外と呼んでいます。


池田香織さん(左)と竹財輝之助さん
日本経済新聞のテレビCMや広告には、あの有名人も出ていた
日本経済新聞の歴代キャンペーンキャラクターは下記の方々です。
 野々村真さん (1996年4月〜1997年3月)
 池内博之さん (1998年4月〜1998年9月)
 川岡大二郎さん(1999年4月〜1999年9月)
 小雪さん   (2001年4月〜2003年3月)
 細川茂樹さん (2003年4月〜2005年3月)
 相沢紗世さん (2003年4月〜2005年3月)
 小泉里子さん (2005年4月〜2007年3月)
 長谷部瞳さん (2007年4月〜2009年3月)
 池田香織さん (2009年4月〜)
 竹財輝之助さん(2009年4月〜)


左は1回目(1956年)、右は2回目(1976年)
「私の履歴書」に2回登場した人がいる
「私の履歴書」にご登場いただくのは、生涯に1回というのが原則ですが、例外が1人だけいます。松下幸之助氏で、1956(昭和31)年8月19日から26日まで(当時松下電器産業社長)と、1976(昭和51)年1月1日から1月31日まで(同相談役)の計2回登場しています。最初は、生い立ちから戦後の会社再建までを8回の連載。2度目は、会社再建への道を歩み始めた、昭和25年から昭和48年の石油ショックまでを30回にわたって連載しました。

日本経済新聞は、日経平均株価の算出も手がけている
内外の投資家や株式市場関係者に広く知られている日経平均株価(日経平均)――。日本の株式市場を代表する株価指数で50年以上の歴史があります。ここに日経の名前が入っているのは1970年に日本経済新聞社が、この指数を算出し、内外の情報提供機関を通じて公表する作業を東京証券取引所から引き継いだからです。
日経平均株価は「ダウ式平均」によって算出します。基本的には、東京証券取引所第1部上場銘柄から売買数量・業種のバランスを考慮して選んだ225銘柄の平均値です。株式分割や銘柄入れ替えといった市況変動以外の要因を除去して指数としての連続性を保つようにしています。85年10月1日からは1分ごとに算出するようにしています。また、86年9月3日にはシンガポール取引所(当時のSIMEX)で、日本の株価指数として初めて先物取引が始まりました。その後、大阪証券取引所への「日経225先物・オプション取引」の上場など幅広く利用されています。


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